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Tangled with・・・・・

転記1 「日本は心をひとつにして頑張った」を美化し過ぎるのは「危険」

香山リカさんが「復興ニッポン」に書かれていました。興味深いので転記させて頂きました。


震災以来、日本人の集合的マインドのなにかが決定的に変わった
未曾有。


つい数か月前までは、この単語を目にした人のほとんどが、「ああ、いつだったか、これを読めなかった人がいたっけ」と笑ったであろう。時の総理がスピーチで「この熟語を読み間違えたのでは」とニュースになったのは、2008年11月。今から2年半ほど前のことだ。

ところが、今現在「未曾有」という単語を見て、そんなエピソードを連想する人は少ないはず。それよりも3月11日に起きた「未曾有の大震災」が、すぐに頭に浮かぶ。そして、心が締めつけられるように痛くなる。「ほら、あのときには総理が……」と言われても、もはや笑う気にはなれない。

 ——あの日以来、私たちの心は、それまでとは大きく変わってしまったのだ。

今日から始めるこの連載では、あの日以来、「アフター311」の心象風景を追う。東日本大震災以降、日本社会に大きな精神的変動が起こりつつある。「集合的無意識」を提唱したのはユングだが、実際に人々の心、そして社会全体の集合的マインドに大きな変化が起こっているのが現在の日本である。

震災後の社会マインド変化がどのように表出しているのか、表層への噴出現場を、これから徐々に読み解いていこう

アフター311の心象風景を読み解く
もちろん、その変化は悪い方向ばかりに起きたわけではない。

今回の大震災に際しては、「まだ日本人にもこんな良いところが残っていたのか」と自分たちも驚くほどの長所、美徳などが、内外のメディアによって数多く指摘された。また、新たな協調性、公共性なども生まれつつある。

とはいえ、その変化の中には、決して手放しで歓迎はできないようなものが残念ながら見られるのも、また事実だ。

「心の変化とは、結局は“気の持ちよう”だろう? もしそれが良くない方向の変化だとしたら、気合や根性で打ち消せばいいだけだ。ことさら憂う心配はない」——そんな声も聞こえてきそうだ。

しかし心の変化を単なる“気の持ちよう”などと言って侮ることは、けっしてできない。そのことは、すでに多くの人が経験智として知っていることだ。

実際、多くの人にマイナスの方向への心の変化が生じると、積もり積もってそれが経済、政治、教育など、さまざまな分野での実体的変化につながることも多い。

だから、ここで大震災後のマインド、心の変化について検証しておくことは、決して「姿かたちのない亡霊を捕まえよう」とすることではない。大げさに危機意識を煽り立てようとする行為でもない。それは、非常に現実的な次元の問題なのである。

大震災後に、社会は人々は、そのマインドはどう変わったのか。私たちはどこに向かおうとしているのか。

311で発生した、心の「過覚醒状態」
大震災が発生してから、数日の記憶がない。——被災地以外でも、こんな人がいるのではないか。

完全に記憶がなくはないにしても、「食べたり寝たりした記憶がない」「とにかく24時間テレビの前にいた」「ずっとツイッターにくぎ付けだった」という人も多いはずだ。

あるいは「知人や親族に電話やメールをひっきりなしにした」「家の防災グッズをすべて詰め直した」「とにかく被災地に行かなければと車を走らせた」といった“行動派”もいるだろう。

この不眠不休・活動しっぱなしというのは、精神医学的には「過覚醒(hyper arouzal)」と呼ばれる状態と考えられる。

「過覚醒」と書くとなんとなく、精神が目覚めたような肯定的な印象があるが、残念ながらそうではない。これは、大きなショックにさらされたときの、人間の心の一過性の反応であり、長く続くと病的な状態にも陥りかねない“危険なサイン”なのである。



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過覚醒に陥る理由は「心を守るため」
ではなぜショックに直面したときに、心は過覚醒に陥るのか。

これは、心の防衛装置が働くため。

つまり、ショックをそのまま受け止めると、私たちの精神は崩壊の危機にさらされる。だから「私は怖くなんかないんだ」と、むしろテンションを上げることで、強い恐怖、おびえ、悲しみなどから、なんとか一定期間、自分を遠ざけることで心を保とうとするのである。

わかりやすく言えば「空元気」に近い状態としていい。

ときどき、家族の突然の死去を経験した人が、葬儀の式場でやけに元気に采配を振るったりしていて、「気丈なのか、なにも悲しみを感じていないのか」と、参列者から顰蹙を買うことがある。

実はこれも一種の過覚醒状態で、精神医学の世界では「葬式躁病」という名称まで与えてられている状態だ。

繰り返すようだが、この過覚醒は心の防衛装置が自動的に働いたものであるから、それ自体を無理やり防ぐ必要はない。それどころか、そうならないようし過ぎると、今度は強い恐怖、苦痛がストレートに心に押し寄せ、茫然自失状態となったり起き上がれなくなったりすることもあり得る。

日本全国での過覚醒状態が「みんな心をひとつに」の背景に
過覚醒状態は、危機から心を守るための「必然的」な反応である。

だからあの大震災の後、日本中、特に「被災地以外の人たち」が一種の集団過覚醒状態に陥って、ツイッターでおびただしい情報が飛び交ったり誰もがテレビの前に座りっぱなしになったりしたのは、実は日本国民の精神を正常に保つために必要なことであったのだ。

ただし、あの一種異様な高揚・興奮状態を「日本人は心をひとつにしてみんな頑張った」と肯定することに対しては、私たちは慎重にならなければならない。

過覚醒状態はあくまで「一過性の心の反応」であり、最悪の精神崩壊を避けるための防衛装置が発動した状態と考えるべき。私たちが積極的に選び取ったものだとはカン違いしないほうがいい。

では、過覚醒状態を正当化し過ぎたり、これが長引き過ぎたりするのは、なぜいけないのだろうか。

それにははっきりした理由がある。これについては次回、より具体的な例を挙げながら解説してみたい。





香山リカ(かやまりか)
精神科医・立教大学現代心理学部教授
1960年7月1日北海道札幌市生まれ。東京医科大学卒。
学生時代より雑誌等に寄稿。その後も臨床経験を生かして、新聞、雑誌で社会批評、文化批評、書評なども手がけ、現代人の“心の病”について洞察を続けている。専門は精神病理学だが、テレビゲームなどのサブカルチャーにも関心を持つ。
近著に「世の中の意見が〈私〉と違うとき読む本——自分らしく考える」(幻冬舎)、「生きてるだけでいいんです。」(毎日新聞)など多数。
by takoome | 2011-06-25 23:50