エトセトラ
プラナカン文化、ちょっとご紹介
マレー半島のマラッカ、ペナン、シンガポールの3都市で繁栄を極めた中国系グループのことで、彼らは15~16世紀(あるいはそれ以前)ごろにマラッカ王国にやってきた中国系移民の子孫とされ、現地のマレー文化、そして植民地時代には宗主国であるポルトガル、オランダやイギリスの文化をたくみに取り入れた独自の文化を持つことで知られています。
彼らは本来、男性はババBaba、女性はニョニャNyonyaと呼ばれ、総称でプラナカンPeranakanと呼ばれるようになったのは戦後のこと。イギリス植民地時代にはイギリスのマラッカ海峡植民地Straits Settlementにちなみ、ストレイツ・チャイニーズStraits Chineseとも呼ばれていました。
その昔、プラナカンの祖先は単身でやってきて現地の女性(マレー人、バタック人、バリ人)を娶ったと伝えられています(しかし、異人種間婚姻は初期の世代のみ。現代のプラナカンたちは血統的には90%以上チャイニーズ)。その子孫たちは食べ物、衣装、娯楽などに多くのマレー文化を取り入れ、中国古来の伝統にはない独特の文化を持ちました。
マレー文化の影響が強かったのはとくに女性ニョニャの方で、これらはニョニャ文化とも呼ばれます。ニョニャ料理、ニョニャ陶器、ビーズ刺繍、ニョニャ・クバヤなどがそれです。南国のカラフルでいて、フェミニンな色使い・ハイカラなデザインが特徴的です。一方で先祖崇拝や中国古来のしきたり・儀式を忠実に守ってきたのもプラナカンです。中国本土では廃れてしまった儀式を今でも続けている家族もあるのです。
ニュニャ達に受け継がれた刺繍。
0,5mmサイズのビーズで「カス・マメ」と言われるサンダルやスリッパを作り上げられる。
上とは何の関係もございません。ただ、どんな方が買われるのか想像すると面白かったのです。
花火のとき、このミントの手袋に惹かれました。それとも凛々しいマレー人のお兄さんにだったかな?
これのお陰で早まった星港行き。
なのでエトセトラ・・・・・
by takoome
| 2008-08-26 12:35
| 旅